本ページでは、プレスリリースポータルサイト「JPubb」が提供する情報を掲載しています。
平成29年8月22日
東京大学
分子科学研究所(IMS)
科学技術振興機構(JST)
近年、固体にパルス光を照射したときその電子構造や物性が高速に変化する現象(光誘起相転移注1))の研究が盛んに行われている。特に、強相関電子系注2)と呼ばれる物質群に属する遷移金属化合物や有機分子性結晶の中には、わずかな強度の光を照射することで光誘起相転移がピコ秒(1ピコ秒=1兆分の1秒)以下の時間スケールで高速に起こるものが数多く存在する。そのため、強相関電子系の光誘起相転移現象は、超高速光スイッチをはじめとする新しい光デバイスへの応用が期待されている。
今回、東京大学 大学院新領域創成科学研究科の岡本 博 教授(兼 産業技術総合研究所 産総研・東大 先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ 有機デバイス分光チーム ラボチーム長)、山川 大路 大学院生、宮本 辰也 助教、分子科学研究所 協奏分子システム研究センターの山本 浩史 教授、須田 理行 助教らの研究グループは、モット絶縁体注3)と呼ばれる強相関電子系に特有の絶縁体状態にある有機分子性結晶に1ピコ秒の時間幅のテラヘルツパルス光注4)を照射すると、その電場の効果で瞬時に絶縁破壊が生じ、金属に転移することを見いだした。さらに、この金属化が、近赤外から可視域のフェムト秒パルスレーザー光注5)を照射する従来の方法よりも高速に起こること、および、金属化のエネルギー効率が高いことを明らかにした。
本研究は、テラヘルツパルス光の照射(電場パルスの印加)が固体の電子構造やそれに付随する物性を制御する手法として有効であることを実証したものであり、消費電力の小さい光デバイスの開発につながるものと期待される。
本成果は、英国科学雑誌「Nature Materials」のオンライン版で掲載予定である。
本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「計測技術と高度情報処理の融合によるインテリジェント計測・解析手法の開発と応用」(研究総括:雨宮 慶幸 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 特任教授)における研究課題「強相関系における光・電場応答の時分割計測と非摂動型解析」(研究代表者:岡本 博 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授)(研究期間:平成28~33年度)、および、文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業の一環で実施された。
電子間のクーロン反発によって電子が局在して絶縁体となったモット絶縁体状態から、電子が自由に動くことができる金属状態への相転移は、モット転移と呼ばれている。このモット転移は、さまざまな強相関電子系物質において、温度変化や圧力変化、あるいは、化学的なキャリアドーピングによって引き起こすことができるほか、銅酸化物の高温超伝導とも深いつながりがある。そのため、モット転移における電子系やスピン系、格子系の挙動を理解することは、現在の物性物理学の中心的な課題の1つとなっている。そのためには、モット絶縁体に外場を印加し、電子やスピン、格子のダイナミクスを追跡するのが有効な方法である。実際に、モット絶縁体である遷移金属化合物や有機分子性結晶に、そのエネルギーギャップよりも大きな光子エネルギーを持つフェムト秒パルスレーザー光を照射すると、キャリア(動くことができる電子)が生成され、それをきっかけにして局在していた電子が一斉に動き出して金属化すること(光誘起モット絶縁体―金属転移)が報告されている。しかし、この光誘起相転移では、パルスレーザー光の光子エネルギーが大きいことにより、余剰なエネルギーが系に放出され系の温度が上昇するため、モット転移における電子系やスピン系、格子系の変化を精密に検出することが難しいという問題があった。そこで、本研究では、光子エネルギーがエネルギーギャップよりもはるかに小さいテラヘルツパルス光によって、熱的な効果を伴わずにモット転移を実現するとともに、転移の際の電子系と格子系のダイナミクスを明らかにすることを目指した。
本研究の対象は、有機分子性結晶κ-(ET)2Cu[N(CN)2]Br注6)である(図1)。この物質は、60ケルビン(K)以下で金属になるが、ダイヤモンド基板の上に載せた薄片状の結晶は、低温にすると基板から負の圧力を受けてモット絶縁体になる。
このモット絶縁体状態にあるκ-(ET)2Cu[N(CN)2]Brにテラヘルツパルス光を照射し、その後の吸収スペクトルの変化をポンプ・プローブ分光法注7)という手法で調べた。その結果、テラヘルツパルス光の照射後1ピコ秒以内に赤外域(0.3エレクトロンボルト(eV)以下)の吸収が増加し、金属に転移することがわかった(図2)。次に、金属化を反映する赤外域の吸収の増加量とその時間依存性が、テラヘルツパルス光の電場強度の増加とともにどのように変化するかを精密に調べ、理論による予測と比較した。その結果、量子トンネル効果注8)によって瞬時にキャリアが生成し、それをきっかけとして約0.1ピコ秒の時間で金属化が起こることがわかった(図3)。さらに、モット絶縁体のエネルギーギャップよりも大きい光子エネルギーを持つ近赤外域のフェムト秒パルスレーザー光で引き起こされる金属化と比較すると、テラヘルツパルス光による金属化の方が転移の効率が高いこと、また、より高速に生じることが明らかとなった。近赤外域のフェムト秒パルスレーザー光で励起した場合は、励起されたキャリアが余剰なエネルギーを持つが、その多くは格子系の温度上昇に使われる。一方、テラヘルツパルス光を照射した場合は、その瞬間的な電場の効果で効率的にキャリアが生成し、金属化が引き起こされる。
テラヘルツパルス光の電場成分を用いて相転移を誘起する本手法は、可視あるいは近赤外域のフェムト秒パルスレーザー光による電子励起を用いる従来の手法と比較してエネルギーの散逸が少なく、エネルギー効率に優れている。このため、高速かつ高効率の光スイッチング素子など、将来の光デバイスへの応用が期待される。また、本手法は、系の温度上昇を抑えて電子状態変化を誘起できることから、強相関電子系の相転移における電子系やスピン系、格子系のダイナミクスを追跡する新しい計測手法として非常に有望である。本研究で得られた分光計測の結果を対象に理論解析を進めることで、電場で誘起される非平衡状態の解明、さらには、相転移の物理的機構の解明につなげることができると考えられる。今後は、さらに高い強度の電場パルスを用いることによって、新しい電子相の生成や高速相転移現象の探索を進める予定である。
右図の点線はダイマーを表している。
赤線が金属相、黒線がダイヤモンド基板上の絶縁体相のスペクトルである。(b)テラヘルツパルス光を照射直後の吸収変化スペクトル(橙色の○)。緑色の実線は、金属相と絶縁体相の吸収スペクトル(図(a))の差分である。挿入図は、ポンプ・プローブ測定の模式図である。
タイトル | “Mott transition by an impulsive dielectric breakdown” |
---|---|
著者名 | H. Yamakawa, T. Miyamoto, T. Morimoto, T. Terashige, H. Yada, N. Kida, M. Suda, H. M. Yamamoto, R. Kato, K. Miyagawa, K. Kanoda, H. Okamoto |
掲載誌 | Nature Materials |
岡本 博(オカモト ヒロシ)
東京大学 大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 教授
Tel:04-7136-3771 Fax: 04-7136-3772
E-mail:
中村 幹(ナカムラ ツヨシ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
Tel:03-3512-3531 Fax:03-3222-2066
E-mail:
東京大学 大学院新領域創成科学研究科 総務係
Tel:04-7136-5578
E-mail:
自然科学研究機構 分子科学研究所 広報室
Tel/Fax:0564-55-7262
E-mail:
科学技術振興機構 広報課
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432
E-mail:
情報提供:JPubb